独ソ戦

独ソ戦
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上段左:ベルリン上空のIL-2シュトゥルモヴィーク
上段右:クルスクの戦いでのティーガーI
中段左:スターリングラード攻防戦時のソ連軍
中段右:1943-1944年時のJu 87 シュトゥーカ
下段左:降伏文書に署名するカイテル元帥
下段右:ユダヤ人女性を銃殺する特別行動部隊
戦争第二次世界大戦/大祖国戦争
年月日:1941年6月22日から1945年5月8日
場所ウクライナロシア西部、ポーランド、ドイツ東部他
結果:ソ連軍の勝利
交戦勢力

ルーマニア王国の旗 ルーマニア王国 (〜1944)
イタリア王国の旗 イタリア王国 (〜1943)
 フィンランド (〜1944)
ハンガリー王国の旗 ハンガリー王国[1]
スロバキア共和国の旗 スロバキア共和国
Flag of Independent State of Croatia.svg クロアチア独立国
ブルガリアの旗 ブルガリア王国[2] (〜1944)
スペインの旗 スペイン(義勇軍を派遣)
Französische Legion Mod1.svg フランス義勇兵
Naval Ensign of Russia.svg ロシア解放軍


ポーランドの旗 ポーランド
Flaga PPP.svg ポーランド秘密国家
Flag of Yugoslavia (1918–1941).svg ユーゴスラビア王国
ユーゴスラビア社会主義連邦共和国の旗 ユーゴスラビア (1943~)
ルーマニア王国の旗 ルーマニア王国 (1944~)
ブルガリアの旗 ブルガリア王国 (1944~)
チェコスロバキアの旗 チェコスロバキア
Flag of Free France (1940-1944).svg 自由フランス(遠征軍[3] を派遣)
イギリスの旗 イギリス(遠征軍[4] を派遣)

指導者・指揮官
ナチス・ドイツの旗 アドルフ・ヒトラー
ナチス・ドイツの旗 エルンスト・ブッシュ
ナチス・ドイツの旗 ハインツ・グデーリアン
ナチス・ドイツの旗 エヴァルト・フォン・クライスト
ナチス・ドイツの旗 ギュンター・フォン・クルーゲ
ナチス・ドイツの旗 ゲオルク・フォン・キュヒラー
ナチス・ドイツの旗 ヴィルヘルム・フォン・レープ
ナチス・ドイツの旗 ヴィルヘルム・リスト
ナチス・ドイツの旗 エーリッヒ・フォン・マンシュタイン
ナチス・ドイツの旗 ヴァルター・モーデル
ナチス・ドイツの旗 フリードリヒ・パウルス
ナチス・ドイツの旗 ゲルト・フォン・ルントシュテット
ナチス・ドイツの旗 フェルディナント・シェルナー
ナチス・ドイツの旗 エアハルト・ラウス
ナチス・ドイツの旗 ヴァルター・フォン・ライヒェナウ
ルーマニア王国の旗 イオン・アントネスク
ルーマニア王国の旗 イリエ・シュテフレア
ルーマニア王国の旗 ペトレ・ドゥミトレスク
ルーマニア王国の旗 ミハイ・ラスカル

ルーマニア王国の旗 ラドゥ・コルーネ
イタリア王国の旗 ベニート・ムッソリーニ
イタリア王国の旗 ジョヴァンニ・メッセ
イタリア王国の旗 イータロ・ガリボルディ
フィンランドの旗 リスト・リュティ
フィンランドの旗 レンナルト・オシュ
フィンランドの旗 カール・グスタフ・エミール・マンネルヘイム
ハンガリーの旗 ホルティ・ミクローシュ
ハンガリーの旗 サーラシ・フェレンツ
スロバキア独立国の旗 ヨゼフ・ティソ
クロアチア独立国の旗 アンテ・パヴェリッチ
ブルガリアの旗 ドブリ・ボジロフ
ソビエト連邦の旗 ヨシフ・スターリン
ソビエト連邦の旗 アレクセイ・アントーノフ
ソビエト連邦の旗 イワン・コーネフ
ソビエト連邦の旗 ロディオン・マリノフスキー
ソビエト連邦の旗 イワン・バグラミャン
ソビエト連邦の旗 レオニード・ゴヴォロフ
ソビエト連邦の旗 ミハイル・キルポノス
ソビエト連邦の旗 キリル・メレツコフ
ソビエト連邦の旗 イワン・ペトロフ
ソビエト連邦の旗 アレクサンドル・ロジムツェフ
ソビエト連邦の旗 コンスタンチン・ロコソフスキー
ソビエト連邦の旗 パーヴェル・ロトミストロフ
ソビエト連邦の旗 ワシーリー・ソコロフスキー
ソビエト連邦の旗 セミョーン・チモシェンコ
ソビエト連邦の旗 フョードル・トルブーヒン
ソビエト連邦の旗 アレクサンドル・ヴァシレフスキー
ソビエト連邦の旗 ニコライ・ヴァトゥーチン
ソビエト連邦の旗 クリメント・ヴォロシーロフ
ソビエト連邦の旗 アンドレイ・エリョーメンコ
ソビエト連邦の旗 マトヴェイ・ザハロフ
ソビエト連邦の旗 ゲオルギー・ジューコフ
ポーランドの旗 エドヴァルト・オスプカ=モラフスキ
ポーランドの旗 ズィグムント・ベルリンク
Flaga PPP.svg タデウシュ・コモロフスキ
ユーゴスラビア社会主義連邦共和国の旗 ヨシップ・ブロズ・チトー
ルーマニア王国の旗 ミハイ1世
ルーマニア王国の旗 コンスタンチン・サナテスク (1944)
チェコスロバキアの旗 ルドヴィーク・スヴォボダ
ブルガリアの旗 キモン・ゲオルギエフ (1944)
戦力
1941年
400万
1942年
269万7000

1943年
348万3000
1944年
252万2000人
1945年
196万

1941年
268万
1942年
531万3000

1943年
670万
1944年
640万
1945年
640万

損害
犠牲者 1075万8000人
(諸説あり)
犠牲者 1470万人
(諸説あり)
独ソ戦

独ソ戦(どくソせん、英語: German-Soviet War)、または東部戦線ドイツ語: die Ostfront)は、第二次世界大戦中の1941年から1945年にかけてドイツを中心とする枢軸各国ソビエト連邦との間で戦われた戦争を指す。

大戦の当初はポーランドを共に占領していたドイツとソビエト連邦であったが、1941年6月22日に突如ドイツ国防軍がソ連に侵入し、戦争状態となった。当時のソ連は国民を鼓舞するため、ナポレオン・ボナパルトに勝利した祖国戦争に擬えて大祖国戦争ロシア語: Великая Отечественная война)と呼称。一方、ドイツ側では主に東部戦線と表現される。

アドルフ・ヒトラーは、ソ連との戦争を「イデオロギーの戦争」「絶滅戦争」と位置づけ、西部戦線とは別の戦争であると認識していた[5]

1941年6月22日3時15分、ドイツ軍は作戦名「バルバロッサ」の下にソ連を奇襲攻撃した。ヨーロッパにおけるドイツ占領地からは反共主義者の志願者や、武装親衛隊によって徴発された人々がドイツ軍に加わった。

開戦当初、ソ連軍が大敗を喫したこともあり歴史的に反ソ感情が強かったバルト地方や、過酷な共産党の政策からウクライナの住民は、ドイツ軍を当初「共産主義ロシアの圧制からの解放軍」と歓迎し、ドイツ軍に志願したり共産主義者を引き渡すなど自ら進んでドイツ軍の支配に協力する住民も現れた。また反共主義者はロシア国民解放軍ロシア解放軍として共産主義者と戦った。しかし、スラブ人を劣等民族と認識していたヒトラーは、彼らの独立を認める考えはなく、こうした動きをほとんど利用しようとしなかった。親衛隊東部占領地域省ドイツ語版はドイツ系民族を占領地に移住させて植民地にしようと計画し、一部実行された。

この戦いにおいて、特にソ連側の死者は大規模である。なお、独ソ戦の犠牲者(戦死、戦病死)は、ソ連兵が1470万人、ドイツ兵が1075万人である。民間人の死者をいれるとソ連は2000〜3000万人が死亡し、ドイツは約600〜1000万人である。ソ連の軍人・民間人の死傷者の総計は第二次世界大戦における全ての交戦国の中で最も多いばかりか、人類史上全ての戦争・紛争の中で最大の死者数を計上した。両国の捕虜・民間人に対する扱いも苛酷を極め、占領地の住民や捕虜は強制労働に従事させられるなど極めて厳しい扱いを受けた。ドイツが戦争初期に捕らえたソ連兵の捕虜500万人はほとんど死亡している(第二次世界大戦におけるドイツによる外国人強制労働英語版)。またドイツ兵捕虜300万人の多くはそのままソ連によって強制労働に従事させられ、およそ100万人が死亡した(ソビエト連邦におけるドイツ人強制労働英語版)。

開戦から1943年7月のクルスクの戦いまでは主にドイツ軍の攻勢とソビエト軍の防御という展開であったが、クルスクの戦いの後は攻守が逆転し、東欧からドイツ東部にいたる地域がソビエトの占領地域となり、1945年5月8日にドイツ国防軍最高司令部総長ヴィルヘルム・カイテル元帥がベルリンで無条件降伏文書の批准手続きを行ったことにより、戦争は終結した。