アイディア・表現二分論

アイディア・表現二分論(あいでぃあ・ひょうげんにぶんろん)とは、思想(アイディア)をその思想の表現または表明と区別することによって、著作権保護の範囲を制限すべきとする考え方をいう。

例えば、欧州連合ソフトウェア指令第1.2条は、コンピュータプログラムの何らかの要素の基礎となる思想及び原理(操作系の基礎となるものを含む)を著作権から明示的に除外している。 [1] [2] SAS Institute Inc. 対 World Programming Ltd. 事件で欧州司法裁判所は次のように述べている。「コンピュータプログラムの機能を著作権で保護できることを認めれば、思想を独占することが可能となり、技術の進歩及び産業の発展に対してマイナスになるであろう。」[3]

合衆国では、1879年に最高裁判所が Baker 対 Seldon 事件[4]の意見でこの原理をさらに進め、書物に記述された「有用な技術」(同事件では簿記)には特許によって排他的な権利が与えられ得るのに対して、著作権によって保護されるのは(アイディアではなく)記述そのものだけであると判示した。 Harper & Row Publishers, Inc. 対 Nation Enters. 事件 471 U.S. 539, 556 (1985) において、最高裁判所は、「著作権におけるアイディア・表現二分論は、事実の自由な伝達を許す一方で、著作者の表現を保護することによって、憲法修正第1条著作権法との定義上のバランスをとる。」(内部引用は省略)と判示した。さらに、 Mazer 対 Stein 事件 347 U.S. 201, 217 (1954) において、最高裁判所は、「特許とは異なり、著作権は公開された技術に対して排他的権利を与えるものではない。保護が与えられるのは思想の表現に対してのみであって、思想そのものに対してではない。」と判示した。

知的財産権に対する批判の中には、一般的な思想及び概念が方法論として解釈されるときに思想・概念自体に独占的な権利を与える「特許」と、そのような権利を与え得ない「著作権」との混同に基づくものがある。[要出典]冒険小説を例にとって説明しよう。著作権は、全体としての作品に、特定のストーリーや登場人物に、あるいは本に含まれる挿絵に存在することがあり得るが、通常は、そのストーリーのアイディアやジャンルには存在し得ない。したがって著作権は、「ある男が冒険に出掛けて探検する」というアイディアには存在し得ないが、このパターンに沿った特定のストーリーには存在し得る。同様に、ある著作物内に述べられている方法論や手順に特許要件があれば、それらは各種の特許請求の対象となり得、それは同じアイディアに基づく他の方法論や手順を包摂できる広さを持つこともあれば、そうでないこともある。例えば、 アーサー・C・クラークが1945年の論文で通信衛星(電気通信中継器として使用される静止衛星)の概念を十分に記述していたため、1954年にベル研究所で(独立に[要出典])通信衛星が開発されたが特許要件があるとはされなかった。

イギリスの判例である Donoghue 対 Allied Newspapers Limited (1938) Ch 106 において、裁判所は、この概念を「絵画、戯曲、書籍のいずれかの手段で思想に形を与えた者」が著作権を有すると述べて説明した。オーストラリアの判例である Victoria Park Racing and Recreation Grounds Co. Ltd 対 Taylor (1937) 事件 58 CLR 479 at 498 において、 Latham 裁判長は、ある人がバスから転落したことを報道するという例を用いた。すなわち、最初にこの事実を報道した人は、他の人がこの事実を公表することを著作権法を用いて阻止することはできないというのである。